長くなった1部に続きまして、屋久島2日目。今回も長いです・・・
AM5:30。周りの人たちが朝ごはんの支度をしていて、いい香りとともに目が覚める。
僕は空腹状態だったので「わけてくれませんか?」と、言いたかったけど
「山は自己責任」という事を思い出し、自分の準備不足を戒めるつもりで、ぐっと我慢。
とりあえず必需品である飲み物を確保できるよう、隣にいたおじさんに空のペットボトルをもらいました
まあ、天気予報でも雨があがるって言ってたし。
「途中で湧水を汲み、雨が上がりさえすれば、立ち止まって休憩もできるし食事が出来る」
そう信じて、AM6:00 小屋を出発。
あたりは霧で真っ白。
やはり、ろくに食べていないのが効いてしまったようで、すぐに足が重くなる
歩けど歩けど、体温もなかなか上がらないように感じる。
雨に濡れた衣服やザックが重い。
寒い
荷物が重い
足も重い
目的地遠すぎ
せめて雨やんで
この5つのフレーズがずーっと頭の中でループ。
せめて雨さえ上がってくれれば・・・と何度も心で祈ったし、独り言もぶつぶつ
途中、出口のないトンネルにいるかのような絶望感も味わい
鳥になれたらなーとか、このままこの谷を転げていったらいい感じに町に降りれないかなーとか
現実逃避もしつつ
着きました九州最高峰の頂、宮之浦岳。
頂上には僕の他に、2人しかいませんでした。
天候を見合わせた人も多いようで、ちゃんとした雨具も持っていない無様なカッコの僕を見て
「チャレンジャーだねー」と。
僕は苦笑いで「あはは」と。
頂上も風が強くて寒かったので、早々と次なる目的地に向け歩きます。と、思った瞬間
足を滑らせてしまい足を挫く。石の上に正座したみたいなスタイルになってしまいます。
そこから歩く事5時間ほど、途中川になった登山道を歩き、湿原を抜け、淀川小屋に着く。
淀川・ここの川の水はそのまますくって飲んでいいほど綺麗。というか飲んだ。
淀川小屋に着き、まず濡れた服を着替えたかったのでザックを広げてみると、
なんと
すべて着替えが濡れてしまっている。
今着ている服ももちろんズブ濡れ。
すでに体は寒さで震えている。頂上について以来、ずっと下りが多かったので歩いててもずっと寒さが取れなかった。
とりあえずパンツいっちょになって寝袋にくるまる。
それでも全然寒い。が、とにかく何か食べなくてはと思い、汲んできた水を鍋に入れ火にかける。
この2日目の夜にして、登り始めてから初の食事。
カレーピラフとエビピラフ。どっちもピラフ。
飲み物は、沸かしたお湯。
やっと空腹が満たされたと思いきや、寒さが取れない
偶然にも、これもまたセンベツにとホッカイロを1つ友達に貰っていて
それを取り出し、いろんなとこに当ててみる
どこに当てれば最大限にあたたかいのか
そんなことを一晩中、震えながら考えていた。が、結局わかりませんでした
寒いもんは寒い。この一言。
そして3日目、AM7:00。周りの会話を聞くと、どうやら晴れている模様。
当然、「やったー」と思うのですが、あとはもう下りがわずかに残っているだけ
しかし外に出てみると、陽射しがものすごく温かい。
こんなにも陽射しが温かったとは。そんなことを考えながら歩いていると、圏外を抜けたらしく不在着信通知やメールが大量に届く。
「至急、連絡をください」
なんだろう。と思って、友達に電話をしてみると
「同級生が亡くなった」
と。
わけもわからず、とにかく急いで下っていると、ようやく登山口にたどり着く
「やっと日常に戻れる」「生きて帰れた」
と、思うと同時に
亡くなったという友達のことを考えると、何とも言えない気持ちだった。
とりあえずそこからタクシーを呼び、コインランドリーに行く
タクシー片道料金5090円。高い。
汚れたり濡れたりした衣服を洗濯しながら、僕と荷物は外でひなたぼっこ。
自販機でジュースも買います。好きなものを選んでボタンを押すと、もれなく飲めます。
「当たり前」って素晴らしいな、と。
その後、街へ下っていくと
「そうか、ここは島だったんだ」ってことに気づきます
お土産を買い、帰りの船を待つ間に食事をすることに。
シイラとサバのフライ定食と、アジの刺身。
それと今度こそ水分補給のためではなく、ご褒美のビール。
お腹が満たされ、船に乗り、鹿児島へ着きバスに乗る。
帰りのバス乗車時間は4時間弱。
疲れてはいたものの、眠れない
生きて帰ってきて、明日から元通りの日常を送る僕と。
いつものように眠りについたはずなのに、今日を迎えることが出来なかった友達。
「いのち」とは何か
「いきる」とは何か
「しぬ」とは何か
沈んでいく夕日をボーっとただ眺めながら
あながち間違いではないようなメッセージを感じながらも
1つの言葉を自分に言い聞かせていたような気もして
「死ぬということは、一つの終わりを意味するながらも、そのこころを受け継ぐ者にとっては、始まりでもあるということ」
人の「死」をもって、「生きている」ことを学ばせてもらっている。と思う
屋久島で出会った「朽ちた巨木たち」にも、それは感じた。
物言わぬ姿に、涙が溢れそうになった
暗いブログにはなってしまいましたが、今回の旅もすごく勉強になったと思います。
僕なりにこれからも模索しながら
僕やお店や、maiちゃんのそばにいてくれている人たちのため、お客さんのため、そして直接は繋がってないとしても「誰かのため」になれるよう
学んだり感じたことを、表現していきたいと思っています
長々と読んで頂いてありがとうございました。
ほんと、すみません
最後に.....Haruka Nakamura 「Arne」
http://www.youtube.com/watch?v=dCB05zXlLAs
帰りのバスで聴いていた曲でもあり、とてもやさしく、どこかなつかしい記憶を辿っているような
そんな気持ちにさせられる曲です。
yamamura
AM5:30。周りの人たちが朝ごはんの支度をしていて、いい香りとともに目が覚める。
僕は空腹状態だったので「わけてくれませんか?」と、言いたかったけど
「山は自己責任」という事を思い出し、自分の準備不足を戒めるつもりで、ぐっと我慢。
とりあえず必需品である飲み物を確保できるよう、隣にいたおじさんに空のペットボトルをもらいました
まあ、天気予報でも雨があがるって言ってたし。
「途中で湧水を汲み、雨が上がりさえすれば、立ち止まって休憩もできるし食事が出来る」
そう信じて、AM6:00 小屋を出発。
あたりは霧で真っ白。
やはり、ろくに食べていないのが効いてしまったようで、すぐに足が重くなる
歩けど歩けど、体温もなかなか上がらないように感じる。
雨に濡れた衣服やザックが重い。
寒い
荷物が重い
足も重い
目的地遠すぎ
せめて雨やんで
この5つのフレーズがずーっと頭の中でループ。
せめて雨さえ上がってくれれば・・・と何度も心で祈ったし、独り言もぶつぶつ
途中、出口のないトンネルにいるかのような絶望感も味わい
鳥になれたらなーとか、このままこの谷を転げていったらいい感じに町に降りれないかなーとか
現実逃避もしつつ
着きました九州最高峰の頂、宮之浦岳。
頂上には僕の他に、2人しかいませんでした。
天候を見合わせた人も多いようで、ちゃんとした雨具も持っていない無様なカッコの僕を見て
「チャレンジャーだねー」と。
僕は苦笑いで「あはは」と。
頂上も風が強くて寒かったので、早々と次なる目的地に向け歩きます。と、思った瞬間
足を滑らせてしまい足を挫く。石の上に正座したみたいなスタイルになってしまいます。
そこから歩く事5時間ほど、途中川になった登山道を歩き、湿原を抜け、淀川小屋に着く。
淀川・ここの川の水はそのまますくって飲んでいいほど綺麗。というか飲んだ。
淀川小屋に着き、まず濡れた服を着替えたかったのでザックを広げてみると、
なんと
すべて着替えが濡れてしまっている。
今着ている服ももちろんズブ濡れ。
すでに体は寒さで震えている。頂上について以来、ずっと下りが多かったので歩いててもずっと寒さが取れなかった。
とりあえずパンツいっちょになって寝袋にくるまる。
それでも全然寒い。が、とにかく何か食べなくてはと思い、汲んできた水を鍋に入れ火にかける。
この2日目の夜にして、登り始めてから初の食事。
カレーピラフとエビピラフ。どっちもピラフ。
飲み物は、沸かしたお湯。
やっと空腹が満たされたと思いきや、寒さが取れない
偶然にも、これもまたセンベツにとホッカイロを1つ友達に貰っていて
それを取り出し、いろんなとこに当ててみる
どこに当てれば最大限にあたたかいのか
そんなことを一晩中、震えながら考えていた。が、結局わかりませんでした
寒いもんは寒い。この一言。
そして3日目、AM7:00。周りの会話を聞くと、どうやら晴れている模様。
当然、「やったー」と思うのですが、あとはもう下りがわずかに残っているだけ
しかし外に出てみると、陽射しがものすごく温かい。
こんなにも陽射しが温かったとは。そんなことを考えながら歩いていると、圏外を抜けたらしく不在着信通知やメールが大量に届く。
「至急、連絡をください」
なんだろう。と思って、友達に電話をしてみると
「同級生が亡くなった」
と。
わけもわからず、とにかく急いで下っていると、ようやく登山口にたどり着く
「やっと日常に戻れる」「生きて帰れた」
と、思うと同時に
亡くなったという友達のことを考えると、何とも言えない気持ちだった。
とりあえずそこからタクシーを呼び、コインランドリーに行く
タクシー片道料金5090円。高い。
汚れたり濡れたりした衣服を洗濯しながら、僕と荷物は外でひなたぼっこ。
自販機でジュースも買います。好きなものを選んでボタンを押すと、もれなく飲めます。
「当たり前」って素晴らしいな、と。
その後、街へ下っていくと
「そうか、ここは島だったんだ」ってことに気づきます
お土産を買い、帰りの船を待つ間に食事をすることに。
シイラとサバのフライ定食と、アジの刺身。
それと今度こそ水分補給のためではなく、ご褒美のビール。
お腹が満たされ、船に乗り、鹿児島へ着きバスに乗る。
帰りのバス乗車時間は4時間弱。
疲れてはいたものの、眠れない
生きて帰ってきて、明日から元通りの日常を送る僕と。
いつものように眠りについたはずなのに、今日を迎えることが出来なかった友達。
「いのち」とは何か
「いきる」とは何か
「しぬ」とは何か
沈んでいく夕日をボーっとただ眺めながら
あながち間違いではないようなメッセージを感じながらも
1つの言葉を自分に言い聞かせていたような気もして
「死ぬということは、一つの終わりを意味するながらも、そのこころを受け継ぐ者にとっては、始まりでもあるということ」
人の「死」をもって、「生きている」ことを学ばせてもらっている。と思う
屋久島で出会った「朽ちた巨木たち」にも、それは感じた。
物言わぬ姿に、涙が溢れそうになった
暗いブログにはなってしまいましたが、今回の旅もすごく勉強になったと思います。
僕なりにこれからも模索しながら
僕やお店や、maiちゃんのそばにいてくれている人たちのため、お客さんのため、そして直接は繋がってないとしても「誰かのため」になれるよう
学んだり感じたことを、表現していきたいと思っています
長々と読んで頂いてありがとうございました。
ほんと、すみません
最後に.....Haruka Nakamura 「Arne」
http://www.youtube.com/watch?v=dCB05zXlLAs
帰りのバスで聴いていた曲でもあり、とてもやさしく、どこかなつかしい記憶を辿っているような
そんな気持ちにさせられる曲です。
yamamura